2012年3月29日木曜日

gooday charm

今週末、友人の開催するイベントにちょっと遊びに行きます。
その時に持っていくものを作っています。

「gooday charm」
一つ一つ、絵は描き下ろしです。二つと同じものはありません。
一匹一匹、愛情込めて描いてます。
完全に楽しくなってしまっています。

ラナンキュラスベイベー

近所の文房具屋さんで買い出しして、帰りにこの子を連れて帰ってきた。
太陽みたいな元気な黄色のラナンキュラスベイベー。


                 

かわいすぎてしばらく私のミューズです。
敬意を込めて「ラナンキュラスベイベー」と呼ばせてもらいます。
まだつぼみがいくつかついているから、これからたくさん花を咲かせてくれると思うとわくわくする。
なんだか嬉しくて、ラナンキュラスベイベーに最高の場所を提供したいという思いから、全部屋を掃除した。
でも結局自分の机の上にしばらく置かせてもらうことにしました(笑)

窓も全部開けて、空気も入れ換える。
洗濯ものが風にそよそよなびいて部屋が洗剤の香りでいっぱいになる。
その匂いを嗅ぎながらラナンキュラスベイベーを眺める。

うん、最高!


2012年3月28日水曜日

たのしいひとりあそび

春になってきて、日中は過ごしやすい。
光や風がきもちよくて、いつもよりも手を動かして何か作りたい気分が増す気がする。

小さい頃によく遊んだプラ板で何か作ってみたいと前から思っていたので、今日は試作も兼ねてプラ板で1日中遊んだ。ペンで描いた線がきゅうぅぅーっと縮んで少し色が濃くなって、表面を触ると盛り上がったインクの感触が面白い。

描いた絵がそのままちょっとしたプロダクトになるのがとても嬉しくて、楽しくて、描いてはすぐにオーブンに入れて縮むのをずーっと見て…この繰り返しで1日が終わりました(笑)

小さい頃楽しかった記憶は大人になっても変わらないんだな。

今日うまれた子たち。
それぞれ色んな色の刺繍糸をつけてやりました。



はあぁ〜楽しかった!笑

2012年3月23日金曜日

春の収穫祭り

春の収穫祭り(くま)


ちなみに、4月いっぱいこのテーマでいこうと思ってます。

2012年3月17日土曜日

例えどんなに色々なもので身を包んでいても、その人の本質というものはその人から滲み出てくるものだ。表面的なもの全てが剥がれたとき、その人の本当の姿が見えてくる。

時には自分を大きく見せたりすることも必要なのかもしれない。
でもそれはあくまで作戦として、嘘の無い程度にしなくてはいけないと思う。
そして大抵の場合、それはあまり意味の無いことのように思う。
少なくとも自分には向いていない。

色々な人が色々なことを言う。
そう簡単に手に入らないから燃えるんじゃないか。

心の貧しさこそ敵。

※筆以外で手を動かしたい時は刺繍をやっている。
細かい作業は無心になれるから好きです。

2012年3月8日木曜日

きみはぼくのともだち

眠れないのなら そばにいるよ 星のみえない夜
こころの奥に沈む 悲しみ そこまでゆこう

自分をうまく出せずに わかりあえずに そっとキズついて
ホントを探しつづけるうちに 遠くまで来たんだね

そばにいるよ
ちいさな明かり灯して
そばにいるよ
きみはぼくのともだち

あの頃ぼくらが 好きだった歌を歌おう

誰にも頼らないで ひとりきりで 生きているきみは
ホントを探しつづけるうちに 遠くまで来たんだね

そばにいるよ

ちいさな明かり灯して
そばにいるよ
きみはぼくのともだち
きみはぼくのともだち



2012年3月2日金曜日

ただの毎日を幸せと思う(アレの話…)

個展が終わって余韻につかったのもつかの間、すぐ風邪をひき、一週間くらいぐずぐずしていました。予想以上に、自分は緊張していたよう。でも期間中は毎日が夢みたいな一週間でした。改めて、ありがとうございました。

そして、最近自分がアトリエ(兼寝室ですが…)として使っている部屋の作業机の配置を1日かけて大胆に変えた。太陽の光が多く机に当たるよう、自分の作業がしやすいよう、コンパクトに自分なりに考えて作業効率があがるような配置にする。
以前の配置より、収納力を増やしつつ、机一つ分スペースを減らすことに成功!
部屋が広々として掃除もしやすくなった気がします。不思議なことに、部屋をきれいにしてから、夜よく眠れるようになった。


で、アレの話ですが…
なんか、とても考えさせられる瞬間があったので書き留めておきます。
昨日からだんなが東北地方へ遠征に行っている。移動も含めて5日間。福島、宮城など回る。わたしは出発前夜、ビニール袋に入れたマスク5枚を彼に渡した。
とても複雑な気持ちだったし、自分が少し安心したいだけなのかもしれないけど、普通の夫婦より離れて過ごすことが多い分、彼の身体のことが自分の身体以上に心配だ。
また、東北は自分にとって第二の故郷。夏は毎年のように山形や岩手の田舎に遊びに行っていたし、気仙沼や福島にも何度か遊びに行った。自分の半分は東北で形成されたと言っても良いくらい、大切な思い出がいっぱいつまった場所だ。
だから東北に行く彼にマスクを渡すのはとても複雑な気持ちだった。マスクを渡してしまったら、もう自分の知っている東北ではなくなってしまう気がしたからだ。
だったら東京でもマスクをして過ごせば良いのではないかと思う。東京だって汚染がヤバイらしいという話は色々なところで聞く。自分が東京でマスクをしないのは、東北地方を比較の対象にして、まだ自分は大丈夫と思っていたいのかもしれない。現に、自分は東京を離れようとは思っていない。でも健康な子供が産めるのか、自分の大切なひとたちは長生きしてくれるか、考えても答えの無いモヤモヤしたものは常に抱えている。
自分の言っていることと行動が矛盾していることは分かっているけれど、家族の健康も今の生活もどっちも同じくらい自分にとっては大切。

事故が起きていなければ、こんなことも感じずに過ごしていたんだろうと思うとなんて都合の良い思考なんだろうとも思う。事故が起きた時のことなんて全然考えないで電気いっぱい使ってたもんな。むしろ事故って文字が自分の中に無かった。
そういう認識の甘さが自分たちの国を、最終的には自分たち個人の首を絞めているのではないか。コントロールできないものに手を出してしまったと後になって気づく。こんなことでもないと気付けないんだなぁ、人間て。

わたしは贅沢なんかできなくて良いし、ずっとアパート暮らしで構わない。
だたの毎日を淡々と送れるということがどれだけ幸せなことか。

今日本はこんな状況だし、放射能汚染のことについてもグタグタ書きましたが、だからと言って、暗い、険しい顔した大人ばかりの国になって欲しくない。こんな時だからこそ、これから産まれてくるこどもたちに少しでも夢を与えられる大人が増えて欲しいし、自分も自分の絵でできることを考えたいと思います。